2014-01-01から1年間の記事一覧

「高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性」について

高槻市北部の里山景観(文化的景観)は、地域の自然環境に即した農林業・寒天製造などの生業や、生活文化が継承されることによって、その価値が形成され、また維持されてきました。しかし、近代以降、特に第二次世界大戦以降の生活様式と産業構造の変化の中で…

「8. 寒天製造に係る伝統的な知恵」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

8. 寒天製造に係る伝統的な知恵 高槻市城山の宮谷源次郎氏・橋本佐太郎氏の語る所によると、北から南へ雲足が早い時は北風が吹いて、キタケと言われ、雪やシマケ(雨)が来ると製品には良くないが、これらの来ないときはキタケの時は寒く良く凍ててキタイテ…

「7. 寒天原藻の供給元」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

7. 寒天原藻の供給元 天満乾物問屋大根屋小兵衛は天明5年(1785)、江戸での商用からの帰途の際に東海道三島に寄り、南伊豆における心太草算出の豊富なるを知り、下田港に出で、一商人を介して南伊豆一帯の石花菜を買付け、大阪へ廻漕することを託した。これ…

「6. 寒天製造業の立地要件」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

6. 寒天製造業の立地要件 寒天は石花菜を煮て造った心天を凍凝させて造るものであるが、これを造る場所としての製造期節は、十一月から二月迄が寒冷で、即ち零下二度乃至五、六度迄の所であり、又西北風の当らぬ所でなければならぬ、若し西北風が当ると早く…

「5. 寒天製造に係る労働者」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

5. 寒天製造に係る労働者 明治時代、その労働力は季節労働者として丹波・丹後地方から求められ、棟梁・釜脇・上人・中人・下人・雑役・精選という職制が存在した。このうち、晒場・天場・棚場において寒天製造に従事するのは、棟梁以下下人までであり、各1…

「4. 寒天製造の工程」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

4. 寒天製造の工程 寒天製造は以下の晒場、干場、棚場の大きく3つの工程に分かれる。晒しの終った原藻から寒天になるまで、天場で2日、棚場で10~15日を要しており、気象条件に恵まれ、もっとも理想的に作業が進行した場合の製造所要日数は、12日間である。…

「3. 明治以降の寒天製造地の分布」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

3. 明治以降の寒天製造地の分布 寛政10年(1998)年に大阪町奉行所に株仲間の結成を願い出た島上・島下・豊島3郡18か村は、西国街道や丹波街道に沿って分布しているが、それは寒天づくりの立地条件に規定されている。寒天作りは何よりも「至って寒気強き場所」…

「2. 近世寒天産業の統制」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

2. 近世寒天産業の統制」 寒天産業は「寒天草千両分で製作すれば二千両余の製寒天となって、原藻の金額の倍額の製寒天が得られて居り」とも言われ、また安永(1772~1780)・天明(1781~1788)の頃より、中国への輸出が盛んとなり、それと期を同じくして天明の頃…

「1. 寒天産業の勃興と伝播」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

1. 寒天産業の勃興と伝播 寒天製造は正保4年(1647)に山城国宇治にはじまると伝えられ、天明年間(1781~1788)に摂津の国島上郡に起り、ついで島下、能勢郡に伝えられ、天保年間(1830~1843)に丹波国桑田郡および船井郡に及んだ。その後、天保・弘化(1844~18…

明けましておめでとうございます。

大きな地図で見る みなさま、明けましておめでとうございます。 今年もよい年になりますように。昨年は、1月の転職の決断にはじまり、2月の地元高槻でのシンポジウム開催、3月は31日の夜中まで前職の仕事が片付かず、仕事をしていました。4月1日からは大学に…