都市の密度と集約とコロナ

12年前の博士論文では農と住が混在する市街地について調査・分析し論じた。

土地利用が混在する現状を前提に、この状況を活かした計画論構築が必要だと考えていた。

その後、非建築的土地利用や空地の暫定利用など様々な話題に触れることが多くなってきた。

そして、ここ最近のコロナになるのだが、東大の横張先生もいっておられたが、日本的な混在がじつは、適切な密度確保とか、ステイホーム・地域での生活の質の向上という中では緑地に触れる機会がも実は生んでいてプラスに評価できるのではとも思う。

役人の予算をとってくるロジックのような多面的機能評価は好きではないが、こうした土地利用の状態が生み出す機能として、あらたに浮かびあがってきているのだろうか。

コロナに覆われた日々の不自由さと豊かさ

オンライン会議が終わるやいなや、娘と外にでてあそぶ。

 

不自由さが強調されてばかりだけれども、地域のこと、家族のことに目を向けるきっかけになっている。

オンラインの働き方で距離の制約が無くなっていくほど、あらためて自分の身の回り=近さの価値に目を向けるようになってきている。

あらためて近所の個店や商店街が気になるなるのも、それだ。
いままで目を向けようと思えばいつでもてできたはずだが。これが価値観の変化というものだろうか。

コロナと都市と生活と

5年近く更新していないブログを引っ張りだして、書いてみる。

 

ブログを読み返すと15年前に初投稿の記事がある。

どうやら就活を止めて、大学院の博士後期課程に進むことを決意した日に始めたそうだ。「都市計画のプロをめざして」とある、はずかしい。

 

そこから大学・大学院をでて、働いて、転職して、結婚して、子どもができた。

15年前にわからなかったことも、いくらか、わかるようになっただろう。

暮らしも生活も。

 

世界も地域もコロナ、コロナで、日々が激変している。

でも家族との時間は増えているし、身の回りと地域に目を向ける時間は増えている。

その中で頭を巡らすことがあるが、なかなか文字として降りてこない。

フローの仕事にかまけて、ストックをさぼっていたのか。

リハビリ的にでも書きはじめて、流れていくものを自分の中でいったん回して、記録してから出していこうかと思う。

 

 

大阪城から干支の方角への旅

大阪城から干支の方角への旅」

大阪城から、その年の干支の方角に向かって自転車で走ります。
12年かけて大阪の景色を収集します。

2015年 未(南南西南寄り)
2016年 申(西南西微南)
2017年 酉(西)
2018年 戌(西北西微北)
2019年 亥(北北西微西
2020年 子(北)
2021年 丑(北北東微東)
2022年 寅(東北東微北)
2023年 禹(東)
2024年 辰(東南東微南)

 

※ルートデータ eto_2016-2024.kml - Google ドライブ

〈都市のスキャニング〉
人は無意識のうちに、自身にとって合理的なルート選択をしています。
歩き慣れた道、楽しそうな道、安全そうな道。。
ルート・方角を固定することで、そのような選択を排除し、今まで出会えなかった景色との出会い、無関係の様に感じていた空間どうしの関係性を見つけてみようというプロジェクト。

作成者
https://www.facebook.com/kunihiko.matsumoto.9

「高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性」について

高槻市北部の里山景観(文化的景観)は、地域の自然環境に即した農林業・寒天製造などの生業や、生活文化が継承されることによって、その価値が形成され、また維持されてきました。しかし、近代以降、特に第二次世界大戦以降の生活様式と産業構造の変化の中で、これまで里山景観の価値を支えてきた様々なシステム・要素が消滅・弱体化し、里山景観の将来的な保全に向けた様々な対策が必要とされています。

特に寒天製造という海産物を原材料とし、製造にあたっては内陸地の寒冷な気候を必要するという特殊な要件を有する産業の特性から、原材料および製品の流通往来に係る様々な歴史的・文化的な資源が地域に点在しています。しかし、流通形態の変化、また地域における寒天産業自体の衰退に伴い、寒天産業に関わりのない人々にとって、このような寒天の流通往来に係る資源に触れる機会がほとんど無い状況にあります。

そこで、これらの地域資源の存在およびその価値を知るきっかけとなるもの、また学ぶ際の教材となる資料を作成しようと思いました。
公開しようと思いながら、作成から2年近くが経過していましたが、小説&ドラマ「銀二貫」で寒天に注目があつまるなか、寒天という切り口で自身の地元高槻を知ってもらう、また学んでもらえらばと思いWebに公開することにしました。

寒天を通じて、高槻を含む、北大阪地域の様々な特性が見えてきます。(淀川を通じた流通往来、大阪天満との関係、丹波地域との関係、気候、森林資源利用、地域の伝統的な知恵、都市化の進展など)
北大阪から南丹に至る地域特有の文化圏が見えてくるかと思い、個人的に研究はほそぼそと行っています。

 

※9編からなる全文PDFはこちらからダウンロードできます。

※本文は平成24年度にNPO法人ノートの依頼で筆者が調査した内容を、依頼者の許可を得て掲載しています。

■参考文献
大阪府経済部水産課(1951)『寒天の地理学研究』
・大阪乾物商同業組合(1933)『大阪乾物商誌』
高槻市役所(1984)『高槻市史 第2巻 本編Ⅱ』
・福山昭(1970)『「近世寒天業の賃労働者」大阪教育大学紀要第19巻』
国民新聞(1934年10月20日付「寒天の製造 輸出副業に適す 農林省でも奨励」」所蔵:神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫
・岡市正(1995)『目で見る茨木高槻の100年』
・高槻青年会議所(1977)『ふるさとの風土 高槻』

「8. 寒天製造に係る伝統的な知恵」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

8. 寒天製造に係る伝統的な知恵


高槻市城山の宮谷源次郎氏・橋本佐太郎氏の語る所によると、北から南へ雲足が早い時は北風が吹いて、キタケと言われ、雪やシマケ(雨)が来ると製品には良くないが、これらの来ないときはキタケの時は寒く良く凍ててキタイテと言われる。しかし、キタケの時は、雲が出て夜中中見張の必要がある。キタケの一種で、真北では無く、一寸乾(北西)の方向からの風は良好で寒さ強く、特に角寒天には良くてイヌイイテと言われる。ニシ(西)の強いものはシラニシと呼ばれ、寒気強くイチヤヌケと言って一晩で心太が完全凍結する物で、昼でも凍結し、これも一週間位は続く。未・申(南西)の方より子・丑・寅(北から北東)の方面へ雲が行けば、暖寒でイテにくく天雲であるが、然し雨はあまり降らず、サーッと降ってはあがる時が多く、全くイテず、この天候も一週間くらい続くものである。しかも寒さぬくさは大体一週間位宛続いて交替する様に考えられ、雨の際は雨の前一日・前の日一日・雨後の一日合計三日間は駄目で皆目イテぬ。又南西の雲のかたまり(岩雲と言う)が出ると強くイテルと言われている。


高槻市原の寺下文次郎氏も、ニシは三日間位きついのが来て良く凍り、キタは寒くても雲が出て寒い割に凍り難く、職人は夜明しして監視せねばならず、ミナミの時は、晴天でもヌクイ、雨になり温い風になる。ヒガシは雨多いと言っている。


高槻市服部の川上彌三郎氏の話によると、「イヌイが晴れぬとイテヌ」と言ひ、又「キタ押したら雨や」、即ち北から雲が来た場合は雨になる事多く温かで凍らぬ。寅・卯(北東から東)から雲が押して乾(北西)へ入ると天気も良く寒さも強い。南から丑・寅(北東)へ雲が行く(「雲が京行キスル」と言ふ)と雨。イヌイグモは凍てぬ。風は寒天に悪く、北風・西風は嫌で無い方が良く、凍結・乾燥共に悪い。一夜抜けは寒天がバラツクと言われている。


 高槻市原の谷口百太郎氏工場の棟梁の神内鉄太郎氏の言に依ると、ニシはイテに良いが空気が乾燥する故、風乾きになって乾燥には不良であるから防風の簀を立てる。キタは大きいのは無い。ヒガシ・ミナミは雨の前兆と言ってゐる。

(以上、大阪府経済部水産課(1951)『寒天の地理学研究』より編集)

※9編からなる全文PDFはこちらからダウンロードできます。

※本文は平成24年度にNPO法人ノートの依頼で筆者が調査した内容を、依頼者の許可を得て掲載しています。