都市の密度と集約とコロナ

12年前の博士論文では農と住が混在する市街地について調査・分析し論じた。 土地利用が混在する現状を前提に、この状況を活かした計画論構築が必要だと考えていた。 その後、非建築的土地利用や空地の暫定利用など様々な話題に触れることが多くなってきた。 …

コロナに覆われた日々の不自由さと豊かさ

オンライン会議が終わるやいなや、娘と外にでてあそぶ。 不自由さが強調されてばかりだけれども、地域のこと、家族のことに目を向けるきっかけになっている。 オンラインの働き方で距離の制約が無くなっていくほど、あらためて自分の身の回り=近さの価値に…

コロナと都市と生活と

5年近く更新していないブログを引っ張りだして、書いてみる。 ブログを読み返すと15年前に初投稿の記事がある。 どうやら就活を止めて、大学院の博士後期課程に進むことを決意した日に始めたそうだ。「都市計画のプロをめざして」とある、はずかしい。 そこか…

大阪城から干支の方角への旅

「大阪城から干支の方角への旅」 大阪城から、その年の干支の方角に向かって自転車で走ります。12年かけて大阪の景色を収集します。 2015年 未(南南西南寄り)2016年 申(西南西微南)2017年 酉(西)2018年 戌(西北西微北)2019年 亥(北北西微西)2020年…

大阪微地形の景 上町台地(西側斜面とすべりだい)

大阪微地形の景。上町台地。 台地西側の急崖をすべりだいとして使いこなす子どもたち。天王寺公園にて。

「高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性」について

高槻市北部の里山景観(文化的景観)は、地域の自然環境に即した農林業・寒天製造などの生業や、生活文化が継承されることによって、その価値が形成され、また維持されてきました。しかし、近代以降、特に第二次世界大戦以降の生活様式と産業構造の変化の中で…

「8. 寒天製造に係る伝統的な知恵」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

8. 寒天製造に係る伝統的な知恵 高槻市城山の宮谷源次郎氏・橋本佐太郎氏の語る所によると、北から南へ雲足が早い時は北風が吹いて、キタケと言われ、雪やシマケ(雨)が来ると製品には良くないが、これらの来ないときはキタケの時は寒く良く凍ててキタイテ…

「7. 寒天原藻の供給元」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

7. 寒天原藻の供給元 天満乾物問屋大根屋小兵衛は天明5年(1785)、江戸での商用からの帰途の際に東海道三島に寄り、南伊豆における心太草算出の豊富なるを知り、下田港に出で、一商人を介して南伊豆一帯の石花菜を買付け、大阪へ廻漕することを託した。これ…

「6. 寒天製造業の立地要件」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

6. 寒天製造業の立地要件 寒天は石花菜を煮て造った心天を凍凝させて造るものであるが、これを造る場所としての製造期節は、十一月から二月迄が寒冷で、即ち零下二度乃至五、六度迄の所であり、又西北風の当らぬ所でなければならぬ、若し西北風が当ると早く…

「5. 寒天製造に係る労働者」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

5. 寒天製造に係る労働者 明治時代、その労働力は季節労働者として丹波・丹後地方から求められ、棟梁・釜脇・上人・中人・下人・雑役・精選という職制が存在した。このうち、晒場・天場・棚場において寒天製造に従事するのは、棟梁以下下人までであり、各1…

「4. 寒天製造の工程」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

4. 寒天製造の工程 寒天製造は以下の晒場、干場、棚場の大きく3つの工程に分かれる。晒しの終った原藻から寒天になるまで、天場で2日、棚場で10~15日を要しており、気象条件に恵まれ、もっとも理想的に作業が進行した場合の製造所要日数は、12日間である。…

「3. 明治以降の寒天製造地の分布」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

3. 明治以降の寒天製造地の分布 寛政10年(1998)年に大阪町奉行所に株仲間の結成を願い出た島上・島下・豊島3郡18か村は、西国街道や丹波街道に沿って分布しているが、それは寒天づくりの立地条件に規定されている。寒天作りは何よりも「至って寒気強き場所」…

「2. 近世寒天産業の統制」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

2. 近世寒天産業の統制」 寒天産業は「寒天草千両分で製作すれば二千両余の製寒天となって、原藻の金額の倍額の製寒天が得られて居り」とも言われ、また安永(1772~1780)・天明(1781~1788)の頃より、中国への輸出が盛んとなり、それと期を同じくして天明の頃…

「1. 寒天産業の勃興と伝播」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

1. 寒天産業の勃興と伝播 寒天製造は正保4年(1647)に山城国宇治にはじまると伝えられ、天明年間(1781~1788)に摂津の国島上郡に起り、ついで島下、能勢郡に伝えられ、天保年間(1830~1843)に丹波国桑田郡および船井郡に及んだ。その後、天保・弘化(1844~18…

明けましておめでとうございます。

大きな地図で見る みなさま、明けましておめでとうございます。 今年もよい年になりますように。昨年は、1月の転職の決断にはじまり、2月の地元高槻でのシンポジウム開催、3月は31日の夜中まで前職の仕事が片付かず、仕事をしていました。4月1日からは大学に…

天六阪急ビルからジオタワー天六への変化を観察

阪急天六駅の真上にあった天六阪急ビル。天六交差点からみえるレンガ色の壁面が、天六のランドマークになっていました。(交差点の緑との映え具合がよかった) このビルはかつては、阪急のターミナル駅であり、今の阪急梅田駅のような発着駅となっていた。 京…

高槻の景観を特徴付ける遠景の山々は緑の壁ではなく緑地としてのコンディションを考えなけれならない時期にきているのでは

日本各地に年々進行するナラ枯れ。梅雨明けのぐっと気温が上がるころに、紅葉でも無いのに木が赤くなって枯れる。カシノナガキクイムシという虫が入り込むことによって発生する。 兵庫・滋賀・京都と発生し、大阪でも発生。その大阪の震源地が高槻。今月はじ…

大阪微地形の景~負けるなアースダイバー~ 上町台地4(阿倍野の渓谷と小山)

大阪微地形の景~負けるなアースダイバー~ 上町台地4(阿倍野の渓谷と小山) さる7月21日。「大阪まち遊学2012 音楽のまち、スポーツのまち・阿倍野」に参加。 大阪まち遊学2012http://tabiclub.org/event/2012.html昨年のスポーツ三昧に加えて、本物の音楽…

大阪微地形の景~負けるなアースダイバー~ 上町台地3(岬から海に飛び込む)

大阪微地形の景~負けるなアースダイバー~ 上町台地3(岬から海に飛び込む) 意気込んで調査をはじめたものの、一年放置していた「微地形の景」調査。知り合いに話をしたのをきっかけに再開。 「微地形の景」http://mati-dukuri.blog.eonet.jp/mati/cat8422…

公団市街地住宅生活日記 その4「リノベーション、いやリニューアル住宅に暮らして」

公団市街地住宅生活日記その4「リノベーション、いやリニューアル住宅に暮らして」 1967竣工の、うちのビル。URのリノベーション、いや「リニューアル住宅」の対象として、間取りの変更や設備ほか仕様のグレードアップが一部の部屋で行われている。 URによる…

都心公的集合住宅収集3 公団甲斐町市街地住宅(堺市堺区) 建物が子供を守ります

甲斐町市街地住宅。1969年。市街地住宅。 堺の旧環濠都市内の由緒有る開口神社向かいに存在感たっぷりにある。神社境内からよく見渡せる。 前面道路側に廊下を配した配置。廊下にきっちりと窓をつけることで、オフィス的な街路型建築感を演出。一階の商店も…

春になりました

年度末終わりました! 少なからず、まだこのブログを読んでいただいている人がいるとのことで、生存確認的に更新をいたします。 春になって冬眠から目覚めたように、周りの友達も動き出して、連動していろいろと動いています。 天満橋は休日やのに、桜で人が…

ついに高槻のあの思案石移設とのこと。都市伝説が伝説でありますように。

(2006年撮影) 高槻の都市伝説。思案石。 その謎に迫ったのは、2006年。もう5年もの月日が流れた。「高槻の都市伝説、市民会館付近にある黄色い石の謎を探る」 あの石が城跡歴史館に3/9に移設されるとのこと。http://takatsuki569.blog111.fc2.com/blog-en…

公団市街地住宅生活日記 その3「廊下と玄関周り」

公団市街地住宅生活日記その3「廊下と玄関周り」 うちのビルは中廊下タイプで、通路の両側に住宅が並ぶ。家に来た人は、学校、もしくは病院のようといわれる。ワンフロアーで16戸のコミュニティは、特に意識せずとも顔見知りになる。 ちなみにドアは外国風の…

公団市街地住宅生活日記 その2「屋上パブリック空間」

公団市街地住宅生活日記その2「屋上パブリック空間」 うちのビルには屋上がある。入居時に部屋の鍵とともに、屋上の鍵を手渡された。ベンチが置かれ、広場的空間。気候がよければ、なかなか気持ちよい。 すっきりとした都心にふさわしいファサードをという…

公団市街地住宅生活日記 その1「日記開始」

公団市街地住宅生活日記その1「日記開始」 旧公団(UR)住宅の市街地住宅に引越してはや10ヶ月。その独特のスタイルに戸惑いながらも、なんとか住みこなしはじめました。 その過程で気付いたことを記録することで、個人的なビル的偏愛、都心居住の変化、集…

都心公的集合住宅収集2 公団 内久宝寺町団地 上品なボリューム感

内久宝寺町団地。1961年。市街地住宅。 街路に沿った2建てと5階建ての「E型」住棟配置。 外側からは、品のあるボリューム感の街路型建物感。中庭に入ると、団地感。二度おいしい。 南大江公園が近いこと、台地感、会社に近いことで居住先候補となっていたが…

都心公的集合住宅収集1 西長堀アパート ファサードが圧倒的

西長堀アパート。1958年。市街地住宅。 晴海と並ぶ、公団の都市型高層住宅の第一号。 wikiによると、かうて司馬遼太郎、森光子、野村克也が暮らしていたとのこと。当時のセレブ住宅であることがわかる。 ちなみに、うちの市街地住宅にはピップエレキバンの社…

いいんだけれども、うーんと唸る。桜ノ宮ビーチ。

桜の宮のビーチ。子供には人気の模様。砂場→砂浜へと変わるのは、規模だけか?波が無いのが砂浜らしくない原因なのか。 川沿いにたって眺めるレベルだと、河川沿いの緑で空と自然という景観。タワーは、破調の美しさとみるか、そもそも見てみぬふりをするの…

能勢長谷の稲刈り2011

能勢長谷のオーナー制度7年目。9日に稲刈りを実施。 田植えからの連続参加者が多く、去年よりにぎやか。赤ちゃんも参加で、初の親子参加。はさがけが中止となり、ただもくもくと刈りました。気持ちは分かるけれども、参加者のニーズとずれていっているような…